靖国神社

 

東京に出かけたときに靖国神社に参拝することにしていた。
出かける機会が増えてからいつも参拝することはできなくなったが、
靖国神社は父が神として祭られているところで機会があれば
参拝しなくてはという意識は強く働いている。

初めて靖国神社を参拝したのは中学2年生の夏休みで
山口県下の中学校から一人ずつ選ばれて参加した。
中学校からの代表を決めるのにくじ引きで決定した。
よく覚えていないが、先生がこのくじがあたりなのでこれを引きなさいと
教えてくれたように思う。他のくじを引いた人は親が再婚していたり、
父親の戦死でなかったりして先生方は他の人を適当な人と
考えなかったようである。

山口県全体なので列車を貸りきってたくさんの中学生が参加した。
また東京見物や日光への観光等も行事に加えられ、約1週間の
旅だったように記憶している。大勢の人の善意で実現した靖国神社
参拝は当時では誰もとがめる人もなく、みんな遺児に治して
同情し、こういう行事に好意的だった。この頃は総理大臣が
靖国神社に参拝してもマスコミも取り上げなかったと思う。

 

アメリカ軍が戦勝軍として日本を占領したときにまず考えたのが
国のために喜んで死ねる日本人とは2度と戦いたくないという思いだっただろう。
そのためには日本の文化を壊してもかまわないだろうし,アメリカが良しとするものを
持ち込んでアメリカの言う自由と民主主義に従わせたかったと思う。
同時に良き日本伝統が強い軍隊を作ったという思いから柔剣道の禁止,
映画の検閲、マスコミの規制とおよそ自由と反対の制限を課した。
歌舞伎ですら一時禁止の憂き目に遭った。

このアメリカの象徴が日本国憲法であると思う。
左翼の人たちを解放し,育成し,アメリカの作った憲法を容易に
改正できないようにしていった。重視したのは「世界のため」があっても
もっと身近な「みんなのため」や「日本のため」の精神が大きくならないように
していったことであったろう。餓死を免れようとする日本人は占領軍からすると
非常にコントロールしやすいものだったろう。占領中にこれからの100年の
アメリカの利益を考えて日本人の精神的支柱を破壊していった。

このなかで象徴的なのが靖国神社であると思う。
(この話は次回も続きます)

次回をおたのしみに

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