親戚

 

子供心に我が家には親戚がないと思ったことが幾度もある。
母が一人っ子なのに父親が戦死して父の兄弟とは
ほとんど付き合わなかったからである。祖父(私が3歳のとき死亡)も
親戚がいなかったので、結局祖母との縁の親戚がわずかにあるのみであった。

工業地帯の住む 今○家と農家の岩○家が良く訪ねた親戚であるが、
昔はどちらに行くにも一日がかりでめったに行ける距離ではなかった。
今では2時間ほどで行けるが、どちらも代替わりをして付き合いも薄くなった。

距離は近いが山道で時間のかかるところにも父の戦友としてお付き合いいただいた
坂○家もあった。近くの田舎なので時々お邪魔したことを憶えている。
田舎を想像する場合、この二つの家での経験がイメージされてくる。
農家の岩○家がもっとも縁が深かったのはその親戚の人が
大学進学の際に我が家に間借りされたこともあって
特に印象深い田舎であった。

今では農家の岩○家も坂○家も他人に田んぼを貸して
農業をほとんどされていない。とくに岩○家の家は誰も住む人もいなくて
荒れるのに任せている。田舎は老人ばかりとなってしまい、むかしの活気
あふれる農家を今の風景から思い出すことも難しい。
ここには私が高校生となって大学を卒業するまで
毎年夏休みに10日間ほど滞在し、田舎を
満喫したところでもある。特に近くの小川で魚を捕ったり、
バイクに乗ったり、その地域の子供会で海に行ったり、楽しい思い出が
たくさんある。この頃は周りのみどりが本当にきれいだったと思う。

親戚が少ないことはさびしいが、かえって良かったかもしれない。
この時代は親戚でなくても近所との付き合いも深く、我が家の離れの
2軒の家を他人に貸し、その2軒にはそれぞれ子供連れの夫婦が
住まわれていた上に、学生(あるいは勤め人)が二、三人、常時
間借りをしていた。我が家の前には「まかない」といって
一月単位で料金をもらって寮の食堂のように
食事を出す家もあった。借家の人も多く、古い家でも喜んで
借りていただける時代でもあった。

次回をおたのしみに

 

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