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修学旅行

Though nothing can bring back
the hour of splendor in grass, glory in flowers
We will grieve not
rather find strength in what remains behind



山口県の防府市に富海と呼ばれる美しい海岸がある。私は広い砂浜にある駐車場で彼女の車が来るのを待っている。周囲に車はなく、夏が過ぎた海には人影もなかった。北九州の富野の自動車道路入口から入って富海の海岸で富子という人に会うのだという訳のわからないことを考えていた。加えて私の息子は富山にいて医学を学んでいるという富を使った言葉をもっとあるかと考えていた。

視界いっぱいに遠浅の海が広がっている。国道2号線はこの海岸からはるか上にあって国道からかなり下って来ないとここに辿り着けない。電話で会うと決めたのは二、三日前のことだった。電話ではこの場所の様子が良くわからなかったので実際の場所は想像と違っていたがこの砂浜を見つけることは難しくはなかった。向こうから車が一台走って来て近くに止まった。車から冨ちゃんが降りてきた。

車の中には乳飲み子とそれより一歳くらい上の子供が乗っていた。私の子供は大学生になっているのに冨ちゃんの一番下の子が未だ乳飲み子であることに驚いた。しかし彼女には私の息子と同じ年の長男から全部で9人の子供があることを思えば当たり前かも知れない。中型の車はずいぶん古く、彼女の着ているものは洗濯をされているが、とても質素なものだった。若い女性とのデートと呼べるような楽しいものではなく、過ぎ去った昔の話をしても明るい話題になりようがなかった。話しながらもうじき離婚する決意が伝わってきた。そして実際に離婚した。

それから遡ること二十数年、私が大学2年生のときである。その日は大学の前期専門の試験が終わった最初の試験休みの日であった。この日から約10日間、大学の講義は休みであり、みんな旅行に行ったり、故郷に帰ったりする。私も大阪にいる友達に会う約束をしていたけれども急遽大阪行きをキャンセルして北九州の小倉駅である列車を待っている。この列車は朝8時に柳井駅を通過し、夜の8時に長崎駅に着く。とくに臨時ではなく、一般の乗客を乗せて走る普通列車である。列車の到着時間、午後1時12分に遅れたらいけないとずいぶん前に来たせいか長い時間どきどきしながら列車の到着を待っていた。気になっていたのはこんなことをして良いのかという大人の常識であったが、人はしたいと思ったら何かの理由をつけて結局自分に好都合な選択をするものである。冨ちゃんが修学旅行でこの列車に乗っていることは間違いなく、どうしても会いたいという気持ちが駅のコンコースにいる理由であった。でもいくら考えても中学校の修学旅行の生徒の中に私が割り込んでいいということは正当化しにくいことであった。事の発端は一週間前に手紙が来たことである。その手紙にはやっと修学旅行の日程が決まりましたという文句で始まり、大体の予定時間が書かれてあった。その次の紙には赤インクで柳井駅から順番にびっしり汽車の駅と到着時間が細かく書かれていた。その紙を見たとき最初に小倉駅に行って乗車して会いたいと思い、次にどこで降りようかと思ったことである。次の戸畑駅で降りようかと思ったがその時間が短くて捜す時間を考えると短すぎると思ったことである。それでは博多駅まで行こうかと思ったが、それでも短いと悩んでいたら最後に終着駅までという極端な考えの虜になった。

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