緊急提言

家庭の重要性

個人と接する社会の最小単位は家庭である。家庭がしっかりすれば
社会問題の大半は解決する。心のケヤーの専門家の多くの言葉より、家族の
一員の言葉のほうがはるかに重要である。家族が支えあって生き、家族の
思いやりとお互いの心が一致すれば不幸を和らげることができる。

 

できることなら毎日の食事を一緒に食べ、テレビも一家そろって話しながら
見るような昔の家庭のようにできるならば親の考え方と子供の考え方に取り返し
のつかない「ずれ」が生じず、こんなことをすれば親が悲しむ、とか子供の嬉しい顔
が見たいとか、そして昔の日本にあった道徳も伝わると思われる。

核家族になったから問題が生じたのではなく、新しい家族制度になって父親と母親が
どう振舞って良いか迷ったから問題が生じたような気がします。価値観の相違が家族間でも
広がり、考えが古いと言われることに脅威を感じている親では良いことはありません。

子供は親の鏡です。親の悪いことも良いことも映している鏡です。母親が父親の考えを
わからないようでは良い教育はできません。父親が母親の子育てをけなしているようでは
良い家庭教育は無理です。放ってておけば母親べったりの子供と父親疎外の母親となって
ある日、どうしようもない問題が生じます。

父親は社会における大切な道徳を家族が守っているかを静かに見守り、
母親は言葉を少なくしながら子供を大切にしていくことが大事です。言葉は諸刃の剣です。
できるだけうるさいと思われないくらいの話にして見守るのが良いと思います。

大切な話は面と向かってきちんと話をし、誤解のないようにしていくこと、子供も声を出して
親に感謝を伝えるようにしていくこと、そして困ったときには子供はどちらの親に聞いても
同じ答えが帰ってくることがわかっていることが大切だと思います。しかし叱るときにはどちらか
一方の親だけにして二人が同時に子供に叱ってはいけません。些細なことの積み重ねが
家庭を造っていきます。

 

社会は家庭にとって、善も悪も伝えてくれます。社会からの影響を排除するのは難しいと思います。
テレビだけでなく、家庭から一歩外出して見えるものは子供の手本になるものばかりではありません。
子供は親から独立した存在です。外で見聞きしたものを親の思うようには子供は感じていません。


むしろ親の言ったことの反対も正しいのではないかと思っています。会話の途絶えた家庭では外部からの
雑音を修正する場所がなくなっています。親の考え方と子供の考え方をぶっつけながら本気で討論する
必要があります。頭ごなしに叱るのではなく、何が正しいのか、なぜいけないかを筋道だって議論する
必要があります。とんでもない考えを子供が持っていても叱ってはいけません。そのような考え方では
なぜいけないかを教え込まなくてはいけません。少なくとも親はどう考えるかを教えなければいけません。

頭の良い子はとくに難しいと思います。議論では負けるかもしれません。でもそれでは親が
悲しく思うということを伝えなくてはなりません。なぜ親が悲しいかも具体的に説いてておく必要があります。
現代では親が勘当しても子供には痛くも痒くもない時代です。だからこそ親子の絆を情と義理で深く連帯
しなければならないのです。

こんなことを言うと女性差別だと言われそうですが、明らかに男と女は違います。

子供にとって家で母親から「がみがみ」言われて、学校に行けば女の先生から

叱られて教室ではのびのび育った女の子から口うるさく言われて「男の立つ瀬」が

ない時代です。男は無口であるように遺伝的に作られているのに無口だと

女に馬鹿にされる時代です。女性は洞穴に住んでいるときから子供を相手に

じゅうぶん会話をし、母親が子供に言葉(母国語)を教えています。だからたくさん

話せるように生まれついています。それに対して男は獲物を追って何日も誰とも話さず

にいても困らないように会話をしなくても平気であるように作られています。

だから男は口下手なのです。生まれついて他人に気持ちをうまく伝えれれません。

 

若い女性が最近の若い男性は頼り甲斐がなく、いらいらする女の腐ったようなのが

多いと話しているのを聞きました。男は涙を見せない、じっと耐えるとか男らしさ磨くことが

なく、肝の据わった男らしさを発揮する機会がなくなっています。これが家庭のもうひとつの問題です。

ここでこの話は次回に続きします。

 

 

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