勉強のできる子に育てるための十か条

 

 

これからは各項をそれぞれを解説していきます。

 

1条  幼児のときから絶対に勉強しろと言わないこと

「勉強ができたらよい、もっと勉強しなければならない」
と本当に思っているのは本人である。「勉強しろ」と言われると

勉強は親のためにやるのかと誤解する。それに良い子であるために勉強をする
精神的に無理な状態となる。したがって親に反発するときに勉強嫌いとなる。

 

2条  テレビ(遊び)は勉強を済ませてからと言わないこと

勉強をしたあとでテレビを見ると勉強した内容を忘れる。寝る頃には
すっかり勉強した内容を忘れている。「あはは」と笑うとすべての勉強が消える。

一日の仕事のストレスを忘れるために大人がテレビを見るのと同じである。
寝る前に勉強をすると寝ている間にストレスが頭に行き、

理解したこと、記憶すべきことが寝ている間に頭脳に定着する。
心理学の有名な実験によっても寝る前の勉強が一番良いことが実証されている。

 

3条  強制的に塾通いをさせないこと

塾通いすれば成績が上がり、親が喜ぶ。親の喜ぶのを見て子供はもっと勉強をする。
そうして受験戦争に打ち勝って憧れの大学に入って親も鼻高々、子供も有頂天。

これで人生の目的を達したかのようです。
でも人生はそんなに甘くありません。大学で留年の危機。仕事でサボりの烙印。

人生、何のために勉強するのか。強制的に子供を塾に行かせると勉強の意義を見失い、
自主性、知的探究心、自己確立ができずに、変な大人になる危険性が大きい。

子供が塾に行かせてくださいと頼むまで塾通いを待ったほうが良い。

 

4条  漫画ばかり読んでと怒らないこと。

漫画を読んではいけない。勉強になる本を読みなさい。こういうことでは子供は本を
読む楽しさも身につかない。教科書だけは読んでいいとか小説でも名作を読みなさいとか
とかく親は大人の基準で子供を縛り付ける。

漫画でも名作と呼べるものはあるし、教科書でもつまらないことが書いてある。
子供がそれまでの体験から面白いと思うものがベストで親が読書の基準を作っては
いけない。できたら親も一緒になって子供の読むものを読んで面白さを共同の体験と
してもてるようにすれば子供は読書好きすなわち勉強好きになる。少なくとも
机に向かうことが苦でなくなる。

親が面白がって読んでいれば子供も読んで見ようと思う家庭を作ればよい。

 

5条  子供の仕事は「学校の勉強」と思わないこと

仕事と勉強を同じように考える人は多い。仕事だからサボらずにやると言う延長線上に
子供に勉強を押し付けていることが普通の家庭で行われている。仕事は金を稼ぐためで
少々嫌でもみんな続けて仕事をする。しかし、勉強は理解する能力、理解して覚える能力、
推論する能力を磨くトレーニングなのです。

時間に縛られず、頭がいっぱいのときはサボり、気が向くと徹夜してでもやる
と言うのが本当の勉強です。

だから仕事のように早く済ませる、効率的に進める、嫌でもやらねばならない

のように勉強してもちっとも効果があがらないのです。親が昔自分にやられたように
子供に勉強させるとその家庭は遺伝的に子供が勉強できないのです。
能力には大きな違いがないが、喜んで進んでトレーニングした人と
しぶしぶ嫌々やった人では大きな違いが出るのが勉強です。

 

 

6条  親も知的活動を楽しむこと
       (子供とゲームとか読書とかクイズとか)

伝統的に家庭の子育てが「運動が得意な子」か「知的なものが得意な子」のどちらかに偏って
育ててしまうのは親の考え方にあります。

時間があれば本を読む家庭と外に出てキャッチボールをする家庭では当然子供が違ってきます。
親が本屋にいつも子供のときから連れて行くと本が好きになります。ゲームでも知的に考えるゲームは
たとえマージャンでも子供の知能を伸ばします。将棋や碁あるいはアメリカのモノポリーでも頭は鍛えられます。

漫画でもそれは読書であって頭を使います。映画鑑賞も知的活動です。太陽が照っていると
外へ出たくなる子供と家で本を読む子供とどちらが良いかわかりませんが、少なくとも違った子供に
育っていきます。しかし、運動にしても知的活動にしても「偏りすぎは」いけません。知的活動に
淫してもいけません。ただ家庭のあり方として知的なものに自然に興味を持つようにしていくことが
理想です。考えることが楽しいようにしていけば自然と勉強に興味が出てくるでしょう。

 

7条  自主的に時間管理させるために親からの希望や
       話し合った上での決まりと制限を設けること

 

勉強の強制も勉強の妨げもしてはならないが、子供は親の思う通りに何事もやってくれない。
自主的にやらすのが良いと言うけれどもそれで済むほど簡単なことではない。

ゲームに没頭、漫画ばかり読む、これらにブレーキをかけたいがどうすればいいのかわからない。
親も悩むし、子供も親が嫌な顔をするのは気分が悪い。そこで自主的な考えだが、決まりと
制限を設け、違反したときにはしっかり罰を受けると言う家庭の法律(親と子供で決める)を作って
守らせるのが良い。Groundedと言うのはアメリカでの家庭での罰だが、取り決めがあるから子供は従う。
無理でない、守りやすい取り決めがよいと思う。

 

 

8条  頭はいろいろなことで鍛えられる

電卓があるので筆算の仕方を教える必要がない、あるいは、ソロバンは役に立たないから教える
必要がないと言われます。役に立つか立たないかで教育内容の論議が行われます。
著名な方がこの歳になるまで2次方程式の求解などやったことがないので不必要だと主張されます。
エンジニアには必要だと主張しても良いのですが、それより頭の自然な発達と言う観点から
2次方程式の数学も学術的言語学も生物学の勉強も要ると思います。

 

体育の逆立ちは日常生活に必要がないから教えないとか、鉄棒につかまって何かをすることは
生活の場で役に立たないから不必要だと主張されるのに似ています。
暗算ができるというためには頭のいろいろな機能がお互いに連携して考えなければできません。

この頭の機能を鍛えるために人間が長い間に習得してできるようになったいろいろな知的活動を
楽しんで訓練する必要があります。それが学習です。

 

逆に人間が行うことが可能な知的活動が教育の内容やお稽古事になっているとも考えられます。
なんの役に立つかわからない将棋や碁などのゲームなどもそうでしょう。逆に1と0の長いディジタルの
数列から画像を頭の中で想像することは役に立つからといっても人間には学習できません。コンピュータ
にできても人間にはできないものです。しかし、出来上がった画像から内容を読むのはコンピュータより
人間のほうが数万倍も早いのです。

 

したがって歴史に刻まれた知的活動はどんなものでも頭の発達に良いのです。変な人間を作らないためにも
教育の原点をもう一度考えなければなりません。最後にスポーツと科学は役に立たないことをしていた
貴族が生み出したことを付け加えます。。

 

9条  良い子とは親にとって都合の良い子か

親も人の子であるので「子供の成長」よりも「良い子」であるほうを好むと思います。自分の子と他人の子と
同一に扱うことができません。本当は他所の子供のように自分の子供を扱ったほうがはるかに良いことが多いと
思います。

子供は一生懸命、親に気に入られようとしています。生きていくためには親が必要なことが一番わかっている
のは幼い子供です。これを利用して親は物事を教えます。しかし、親から見てかわいさを求めすぎて「良い子」に
なるように無理をしています。子供も良い子であろうとして無理を重ねます。

結局、無理に無理を重ねて最後にどんでん返しのような悲劇が待っています。子供の成長を望むなら
親の言うことをきかなくなる、可愛げがなくなるというときにも子供の成長を喜ぶべきです。昔のように
親が忙しすぎて、子供と一体化できないときのほうが良い子に育ちます。心を多角的に広げて子供と一体化
しないように、できたら他所のお子さんをあづかって、教育者のように育てていくと思うほうがいいと思います。
いろいろな問題が起こるのは「子供に手をかけすぎ」か「あまりにも放任か」のどちらかと思います。

また父親と母親の分担は明らかに違います。母親が子供に心を奪われて暴走するのを防ぐのも
父親の役割です。真の教育者というものは自分を超える人物を生み出すとき喜びます。自分の子供に
対しても「自分に都合の良い良い子」であるよりも、可愛くないほど憎らしくても自立した世間に役に立つ
人間を生み出すほうが大切です。

10条 子供に対する親の望みは自立心で、常に勉強より
       もっと大切なことがあることを親として肝に命じておくこと
       そうしないと変な子供に育ってしまう恐れもあります。


頭の良い子は悪人にもなれる。

頭が良くて、勉強ができて学業成績に申し分なくても

人間にとして何かが欠けているような成長は困ります。むしろ頭が悪くても

勉強ができなくても他人をひきつける魅力と周囲を納得させる正義感、

努力によって生まれた自分に対する自信と物事に対する集中力

それに親から独立した自己確立です。それができないと結局

勉強ができても何の役にも立ちません。これらを育てるために本を読み、

知的な活動を奨励しているはずです。体力、頭力それに精神の健全性が

もっとも大切です。

  

 

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