科学少年

県庁所在地に住んでいたので県立図書館があった。当時そんなにたくさんの本が
あったわけではないのでほとんどすべて読んだような気がするほど本を読んだ。
科学と言う物は子供でもわかるので科学中心の傾向が生じてきた。

人生の機微を伝える小説などは子供にはわからない。
たとえば高校一年で見た映画「悲しみよこんにちは」は
よく意味がわからなかった。まして
フランスの原作の小説を読んだらもっとわからない。
今この映画を見るとどこがわからなかったかわからないほど
登場人物の気持ちが良くわかる。少なくとも
このハリウッド製作の映画の程度には十分すぎるほど良くわかる。

科学の数学、物理、化学、生物は文学より幼いときには
わかりやすい。そこで読んだ本に感動してだんだん科学
の好きな少年になっていった。「顕微鏡下の世界」と言う本に
感動し、顕微鏡が欲しくて欲しくてたまらなくなったが
自分の欲しい程度のものが手に入らず、生物は
一過性の興味であった。それでも簡単な古い顕微鏡を
母が知り合いから譲り受け、葉っぱの細胞くらいは自分で観察した。
(最近、顕微鏡を購入したのはこの頃の遣り残し症候群の解消のためか)

小学の高学年には化学にこり始めた。いろいろな薬品を
購入して実験することが面白かった。当時はかなり危険な
薬品も子供に自由に売ってくれた。フラスコ、ビーカ、試験管や
重さを量るさおばかり(グラム単位で計れる)まで持ち、
母の高等女学校の教科書や本を頼りにいろいろな実験をした。

酸素を作る実験で不純物のために爆発を起こし、
苦しい目にあったりもしたが、大きな事故もなく化学に没頭できた。
しかしあるレベルからもっと難しい実験は子供の小遣いとかで
買える器具では実現が程遠くなっていった。それでも中学1年生のときには
中学校の理科機材室を自由に使えて危ない薬品とかも
自由に手に入った。たとえばナトリユーム(Na)が油の中に入れて
保管されているのを見つけた。そこでナトリユームを水に入れて
水素を作るのが面白くて図に乗って大きなものを入れすぎ、
大爆発を起こしてしまった。幸いガラスとかは割れず、
大きな水槽の水が半分になるほど水が吹っ飛んだ。
目とかが痛くても人には黙っていたが、
内心このような危ない実験を続けることが怖くなってきた。

中学一年生の無謀さでやっていたが、化学にも限界を感じて
(適当な指導者がいれば話は違っただろう)
次のものに興味が移った。

次回に続く

 

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