子供心

子供のころは親の気が付かないところで苦しむものである。片親の一人っ子として
育ったわけだが、周囲が戦死というものにそれほど理解があったわけでもなく、
まして父が日本のためにがんばってくれた英霊と思ってくれていた人は少ない。

母親だけの収入ということは周囲よりは貧しいことは確かであるが、
それを意識するほどのことは小学、中学のときにはなかった。しかし、
高校ともなるとその差は激しく、人に言われない意識が芽生えていた。そのため
[いいとこの子]に対する敵愾心は強く、親がえらいだけで恵まれている人とは
あまり付き合う気にならなかった。

収入は男に比べて母は少ないけれども家族は母と祖母と私一人であり、
親が酒を飲むわけでもなく、ギャンブルするわけでもなく、
とくに子供のときに家計のために働かなければならない家庭では
なかった。しかし小学校のときの友達には貧しい家庭のものが多く、新聞配達に
付き合ったり、野原に出かけて「あかがえる」を捕って食べたなどの悪友が多い。

かえるを捕まえた瞬間、すぐそばに大きなへびが居り、
へびも私のかえるを狙っていたとわかったときになんだか世の仕組みを
感じたような気がした。かえるは皮をむき、身と骨だけにして
砂糖醤油につけて焼くだけであるが、とてもおいしかったことを覚えている。
夏は毎日のように自分で料理して食べたが、今では食べる気もしないし、
気持ちが悪いような気もする。魚つりをなぜしなかったかと問われれば
あの時代に高価な魚釣りの道具を求めることは不可能な時代である。

蛇は大嫌いである。悪がきが私の弁当箱のふくろなどに蛇を入れたり、
いろいろ怖がるのでいたずらをしたが、それほどいじめられたわけでもない。
彼にけんかを仕掛けたが、おまえとはけんかはできないと
相手にしてもらえなかった。すれば負けていただろう。

男の子にしては異常に蛇を怖がるのでいたずらをされたが、
私ははじめから蛇が怖いわけではないようである。
小学校の低学年のときに友達と蛇を殺し、皮をむいて遊んだときに
母がこれ以上の叱り方がないほど叱ってくれた。他の男親があそこまで
怒らないでよいのにと思うほど怒った。暗い狭いところへ押し込めようとしたり、
ヒステリックに怒った。母は自分の嫌いな蛇をというおもいがあったのであろうが、
幼い子供にあれほど怒ると子供も蛇嫌いになったようである。

いじめられっこにならなかったのはその当時では勉強のできる子は
一目置かれる存在になれたおかげである。ある4年生の学期終了時に
私の成績通知表を奪ってからかおうとした悪がきが私の成績を
みて一瞬フリーズした。からかうような成績でなく、彼にとっては
びっくりするくらい私の成績が良かったようである。

逆に徒党を組んでいじめもした。小学校の先生は士官学校の
優等生であったが、しばしば悪いことをしたら殴られていた。
しかし、いじめが先生の耳に入ったときに私は先生から殴られなかった。
殴られないことでかえって悪いことをしたという気持ちが強かった。

不思議なことに父親が居ればよいのにとは思わなかった。
しかし、兄弟か姉妹が居れば良いのにと思ったことはある。
父親の存在を望んだのはもっと大人になってからである。
片親で一人っ子でどうにかやってこれたのは
この時代、隣近所の付き合いも深く、周囲に父親や兄弟のような
存在が常にあったからだろう。

続く

 

メインページに戻る

 

inserted by FC2 system