チャンバラ

当時の子供は外でよく遊んでいた。ファミコンもテレビもなく、勉強も
適当にやっていればよかったので遊びが中心だった。スポーツといえるような
格好良いものじゃなくて遊びは自分たちの工夫次第であった。

運動神経のにぶい私であったが、どういうわけか個人戦的なもの、
チャンバラとか相撲は強かった。チャンバラと言うのは捧きれを振り回し、
相手のどこかをたたけば勝てると言う剣道とは全く違うものだった。
ずいぶん危険なことあって小学校高学年には禁止の話がでていたが、
禁止に反対して小学校の先生方に珍しく不平を言ったこともある。

竹を使って弓矢を作ったり(10メートルくらいは飛ぶ)、チャンバラの剣を
孟宗竹を割って形を作り、削って剣のように少しは切れるように細工をしたり、
危ないこともやっていた。今思い出しても恐いが、至近距離から弓矢を撃って
頭に命中して大怪我をした友もあったり(撃ったのは私ではない)、相手が
足をめがけて切り込んだのをついチャンバラの剣で頭を突いたりした。
どちらも眼でも刺せばすまないではすまされない大怪我となっていたであろう。

中学校ではあまりチャンバラはやらなくなったが、一時流行したこともあった。
この頃は剣道に似てきて構えもそれなりな格好をして闘ったことがある。
結構、相手の動きを読んで打ち込まれる瞬間を予測して瞬時に決まる
事が多かった。教育熱心な家庭の子が私に負けるので剣道を習い始めたの
には驚かされた。剣道を習うというような余裕は我が家にはなかっただろう。

我が家は教育には金を掛けないほうであったので塾通いは中学校2年のとき
で仲良しに誘われて英語を習いに行ったくらいである。それも終了後みんなは
買い食いや夜遊びばかりなので途中で辞めた。ひたすら図書館通いをして
本を読んだり、金を掛けずに、工夫次第で遊べることをやっていたようである。

相撲は中学校のときに毎日のようにやっていた。美術の時間はほとんど
外で風景の写生であったので10分くらいで描いて後は相撲ばかりしていた。
幸い近くに神社があり、その相撲場で相撲を取った。その仲間の中では
一番強かったので楽しかったが、ズボンは破れバンカラみたいになっていた。
描いた絵はいつも最低のDだったが、同じ10分で描いた友達の中には
Aをもらう者もあって才能と言うものもそれぞれにあるのだなと実感した。

小中学校のときの当時の友達にはいわゆる「いいとこの子」はいなくて
気の弱い友が多かった。中学校にもなると本格的な悪(わる)がいて、
私の仲間もゆすられていた。わたしはその彼とは小学校のときから
友達で私には金をせびったことは一度もない。むしろやくざの組の
ところで寝起きすることを話してくれたりして、話し相手になった
こともある。おい、相撲をとろうやと言われて相撲を取って私が
全部勝っても気持ちの良い顔をしていた。友達もなく、学校は
休みがちでさびしかったのだろう。会いたいと思ったこともあるが、
刺青を彫った人には会ってはいけないと注意された。人生は
自分の思うようには生きていけないが、
私は幸運だったと思う。

 

次回に続く

 

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